なぜ自由に乗せてもらえないの?
「丸馬場での円運動や引き馬はつまらない。外で好きなように自由に乗せて」
についてのお答え。
「人馬の事故防止」そして「馬の心と体を壊さないため」です。
馬たちは終始一貫したトレーニングを受け、「この指示ではこう動く」という風に関連付けて記憶しています。
そこへ矛盾した指示がひんぱんに出されると混乱し、歩みを止めたり人を無視したりするのです。
騎乗者のバランスが不安定でぐらぐら揺れるだけでも、馬にとってはいろいろな合図が出続けることになります。
その状態でも安全に騎乗しつつ練習できる方法が、丸馬場での円運動と引き馬なのです。
観光施設のように、一日に何十人もの人を乗せる場合には引き馬です。
リードを持って歩く人について歩く馬は、背中の人が多少騒いでも無意味な動作をしても気にならないからです。
秩序の無い命令を繰り返されて戸惑うこともなく、落ち着いて歩いていられます。
しかし。
引き馬でおとなしく乗せてくれた馬たちも、一対一になると「安心して頼れない」ものには興味を持たず、馬らしく振舞います。
名詞の肩書で人を判断しませんが、人と馬全体を群れとして考え、直感で「自分より上か下か」「頼れるか、頼れないか」を一瞬で見抜き、態度で足りないところを示すのです。
群れに依存する馬の性質や心理を理解し、基本姿勢を身に着け、どこへでも丁寧に導き、彼らの信頼を経てひとりで自由に操れるようになるまでには、長い長い時間がかかります。
牙や爪を持たず、草食獣である馬は、群れの動きを意識しながら延々と草を食み、何かに驚くと反射的にその場所から走り去ることで身を守ります。
乗り手が常にその動きを想定し、バランスを保つだけの技量がないと、急な動きで落馬してしまいます。
これも経験から覚えていくしかありませんから、野外騎乗は馬場での基本練習を終えた方がやむを得ない落馬も込みで楽しんでいただくことになります。(そうでない場合も、バランス感覚のある方なら引き馬でお受けできます)
乗馬施設では、馬を駅前のレンタカーのように誰にでも一頭で貸し出して
「はい、どうぞ好きにお乗りください」というところはありません。
その理由は・・ 乗り手が一人の場合は、馬の性質を良く知り、扱いに十分慣れた人でないといけないからです。
上手な方ほど慎重・謙虚かつ丁寧ですし、馬たちをよく観察し、静かなコンタクトを試み「いきなり走らせよう」などといった無茶をしません。
馬についてあまり知らない人は、脱いだ上着をいきなり馬上から放り投げたり、西部劇のようにいきなり腹を蹴り上げ「ハイヤー!」と鞭打つことも十分予測できます。
群れに依存する馬は遠くに連れ出されて1頭になってしまうと不安になり、扱いが難しくなることも多いのです。
そして残念なことに、「時間内はお金を払った自分がどんな乗り方をするのも自由でしょ?」と考える人も、どんな馬もいきなり強く蹴り上げたり、ムチで思い切り叩くことのみが正しい接し方だと考える人もいます。
初めての馬には一番弱いところから試して反応を見る大前提を知らず、力任せに馬の口もとをねじりあげたり、不安定でブラブラの足首に強い拍車をつけて蹴り上げる乗り方をする人も、乗せるわけにいかないのです。
「(体の硬さ、姿勢、締め付け、体重など)自分が馬の動きを阻害している」ことを差し置いて、「こんな馬には大きな痛みを与えないと動かない」と思い込む人が「この馬はいうことを聞かないダメな馬だ! 動く馬に変えろ!」と怒って下馬したとします。
そこへ『体幹がしっかりしていて、自在に動く柔軟な体』を持つ人が乗り替わると、馬たちは何もしなくともすいすい歩き始めるのです。
練習用に選ばれた重たい馬を自由に動かせない人が「簡単に動く馬」に乗ってしまうと、事故の割合はもっと高くなります。
ちょっとバランスを崩しただけで走ったり、止められないことが容易に想像されるからです。
そういったことを知らない方が好き勝手に乗って事故が起きた場合、保険証を持って自己責任で乗っている人間はともかく・・
指示された通り忠実に動いて事故にあわされた馬には、ペット保険のようなものがありませんし、骨折したら助からないことも多々あります。
それに、怪我をしたからといって安易に替えの馬を用意することもできません。
なにより普段愛情をこめて飼育している人が、我が子同然の馬をそんな目に合わせるわけがありません。
馬たちは、”馬を良く知らない人の一方通行かつ理不尽な命令”には従いません。
映画でさっそうと馬に乗っている俳優さんは、画面外で時間をかけて基礎練習をし、落馬などで何度も痛い目にあっています。
野外騎乗レースに出るような熱意のある乗り手も、怪我は日常茶飯事です。
施設も馬の扱いには十分気をつけていますが、それでも事故はあります。
管理人は素人ですからこうしていろいろ書きますが、現場のプロは練習中の様子を見せず、当たり前のこととして言わないだけです。
馬により安全に乗るということは・・
●柵の中で訓練された馬に乗ること
●騎手が静かで落ち着いていること
●常に意識を集中し、馬を心地よく正確に導びくこと
で、このときに、馬の意識を集中させやすくするために、馬具や紐、柵が必要になります。
”馬を縛り付ける紐”ではなく、”馬の心をつなぎとめる紐”
そして
”馬を閉じ込める柵”ではなく、”馬の心を集めておく柵”です。
丸馬場は人とのコンタクトを育むのに適した形の運動場。人を乗せて直線だと暴走してしまうような馬も、ここならコントロールしやすいので、初期のトレーニングにはかかせません。
馬森では、「紐なし、柵の外でも楽しく安全に乗れる」ことをめざし、日々練習中です。
馬を心地よく自然に導くには
人を乗せる訓練を受けた馬にバランスよく乗り、
●常に無言の対話をし、
●馬の性質を理解し誤った指示のストレスを与えず、
●リラックスさせつつある程度の緊張感
がないといけないのですが、このいずれかが大きく崩れると制御が難しくなります。
乗り手は常に落ち着き、馬を正しく導ける “頼れるリーダー” でないといけません。
そもそも「いうことを聞かない」「なめている」「従わせる」という発言が、人間の一方通行の証。
馬上の人のバランスが不安定なだけでも、馬には「右へ曲がれ、左へ寄れ、止まれ、バックしろ」と絶えず指示が出続けていることになります。
矛盾だらけの矢継ぎ早な命令が理解できずに戸惑っている状態の馬の様子を観察することもなく、方法を替えることもなく、脅しのみで従わせようとし、通じないとみるや即座に「馬のせい」にすること自体が大きな間違い。
そこには何の喜びもありません。
かといって道草や方向転換など馬のやりたいようにさせればますますコンタクトからは遠ざかります。
いわゆる“さじ加減”が難しいのです。
必要なもう一人の人
普通、施設で馬と人の関係をまとめるには、横に立って訓練された馬を引き、安全を守る立場の人が必要です。
馬たちも乗り手に理解できない指示を繰り返されたりすると混乱し、飽きて歩みを止めてしまいます。
管理人は”契約”と呼んでいますが、
「こうしたらこうする」という馬と人の間のルールを作り、それを確実に守ることが大事なのです。
環境の変化、見えない病気、屋外での1頭、さらに空腹でも扱いが難しくなります。
人が心をこめて話しかけることも、適切なマッサージ以外でやたら身体に触れることも、思われているほど有効ではありません。
馬は音声によるコミュニケーションや直接のふれあいを群れ同士でもほとんど行いませんし、人に対して「触れないで」とメッセージを送っていることもあります。
それよりも無言で毅然と正しく導く方が馬に伝わりやすいのです。
管理人は、馬の心は”水はけの悪い小さな植木鉢のようなもの”だと思っています。
もともと一日のほとんどを、群れで暮らし草を食むことで生きる動物です。
生きることに直接結びつかない人間の意志を受け入れられる器は本来とても小さく、受け入れられる水は少なく、吸水はとてもゆっくりです。
そしてだからこそ、面白いのです。
ホースリーダープログラムをご用意しましたので、興味のある方はどうぞ。